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 《私達が芸術品に接して、凡(あら)ゆる思考を廻(めぐ)らせても十分鮮明に理解することが出来ない何者かを感ずる時にのみ、私達は芸術品が齎(もたら)す十分満足な印象を味はふものである》   ――ショーペンハウエル

 日記をめくれば一九三六年とあるから、思えばそれは今を去る四十三年前のことになる。
 東大英文科に籍を置いたまま、当時の満洲国ハルビンに渡った二十三歳のうら若き青年である私は、ロシヤ人の家に下宿してロシヤ人の家に通い、トルストイを読むためのロシヤ語の学習に没頭していた。下宿はマースレニコフ家、そこから通った家庭はクラフチェンコ家。クラフチェンコ家の主婦エンマ・ミハイロウナ・クラフチェンコこそ、私の唯一の小説『仮初(かりそめ)ならば』のヒロインであった。私は毎日馬河溝(マジャグウ)のマースレニコフ家から、時には歩いて、時には電車に乗って、吉林街(ギリンスカヤ)のクラフチェンコ家を訪れ、前記エンマ・ミハイロウナを始め、ニーナ・トロフィーモウナ、リディヤ・トロフィーモウナ等々の御婦人方に囲まれて暮らした。あたかもその頃南崗(ナンガン)の「オリヤント座」でグレタ・ガルボ主演の『アンナ・カレーニナ』が上映され、それが機縁で(それに又ヤーシャが、つまりこの私がしょっちゅう『アンナ・カレーニナ』の話ばかりするので)みんなでこの作品を読み、その後で感想を述べ合おうということになった。流石(さすが)にロシヤ人だけあって、三人の御婦人は忽(たちま)ちのうちにそれを読了し、いよいよ合評会ということになったが、結局テーマは、一体こうした悲劇が生じたのは誰の罪か?ということに絞られて行った。ニーナ女史は、もう分別を持つべき年のアンナが、若いウロンスキイを誘惑したのがいけないと言い、リディヤ女史はウロンスキイがいけないと言う。それにアレクセイ・アレクサンドロウィチもだらしないわ、と彼女は言った。それにしてもレーウィンって何という嫉妬(しっと)深い男かしら、と彼女がしきりに繰り返していたのが忘れられない。
 つづいて私にお鉢がまわって、「ヤーシャは一体誰の罪だと思うの?」ということになった。そこで私は、僕には誰の罪だか解りません、もともと誰の罪と極(き)めつけるわけにはいかないのじゃないですか?と答えると、エンマ・ミハイロウナが直(す)ぐに横合いから「全くヤーシャの言う通りよ。誰が正しくて誰が正しくないか、それを裁くのは私達の領分じゃないわ!(クト・プラフ・クト・ニェプラフ・スヂーチ・ニェ・ナム!)」と言って、「私とヤーシャの意見は完全に一致したわけね」と、にっこり笑って見せた。それは、私にはまるで昨日のことのような気がする。あの時のエンマ・ミハイロウナのロシヤ語のイントネーションを、私は今耳許(みみもと)で聞く想いである。
 私がこうした青春の思い出の一齣(ひとこま)を反芻(はんすう)するのは、やっぱりショーペンハウエルの言う通り、偉大な作品は安易な解説など絶対に受け付けないことを犇(ひし)と感ずるからである。あれから四十三年の歳月が流れ、その間私はこの作品を、あるいは原書で、あるいは他人様(ひとさま)の翻訳で何度読み返したことであろう! 結局今 【6700K】純正HIDヘッドライト交換用バルブ2個セット■レジアスエース/トヨタ/KDH2##,TRH2##/H22.7-■D4R■世界基準フィリップスのアップグレード用■3年保証■アルティノンフラッシュスター6700K■H.I.D 電球■PHILIPS、私はその翻訳者として登場しているわけであるが、それでも依然として私は、この作品を解説する力がないことを痛感している。例えば冒頭に掲げられた『復讐(ふくしゅう)は我に在(あ)り、我これを酬(むく)いん』という言葉にしても、どう見ても作者がそのために万斛(ばんこく)の涙を流しているヒロインの運命への冷酷な批判とは取りたくないし、むしろ作者自身も、自ら解明出来ない言葉かもしれないのだ。それにアレクセイ・アレクサンドロウィチという、割に合わぬ役を負わされた不幸な男、アンナやウロンスキイやレーウィンやキティの上には確かに注がれている作者の愛情が、どれ程彼の上に注がれているかが鮮明でないこの哀れな人物、それを官僚主義者、偽善者と詬(ののし)って済ます一部の批評家にはお付合い出来ないけれど、反対にその極端な美化は矛盾と滑稽(こっけい)を暴露するにすぎなくなると思う。要するに世界中からあらゆる批評が出つくした観のある、而(しか)も依然として十分鮮明に理解することの出来ない何者かを感じさせるこの作品について、私は今更ながらの解説を加えようとは思わず、ただ私は如何(いか)にして『アンナ・カレーニナ』とめぐり合ったか? そして又私にとってそれは何であったか? それが私に何を感じさせたか? について、そこはかとなく書き綴(つづ)ることで訳者としての責を果たさせて頂きたいと思う。その意味で『戦争と平和』の場合と同じく、『アンナ・カレーニナ』と私、としたわけである。
 もともとトルストイの作品は、どれを取っても私には貴重な思い出があるが、『アンナ・カレーニナ』の場合、それが私にどうでもロシヤ語を勉強したいという最終的な決意を固めさせたという思い出がある。それは旧制高校二年の頃だったと思う。『人は何で生きるか』や『イワンの馬鹿』でトルストイにめぐり合った私は、或る日友人のうちを訪問したら、彼が悠々と『アンナ・カレーニナ』を読んでいるのにぶつかった。岩波がトルストイ生誕百年記念に発行した全集本で、中村白葉訳だったと思う。私は何だか出し抜かれた気がして、早速私自身それを手にすることになった。まさにその訳文を、数十年後の私は烈(はげ)しく批判することになるのであるが、それでもやっぱり私は、『アンナ・カレーニナ』に感動を覚えた。そして、イタリヤからウロンスキイと一緒にペテルブルグへ帰って来たアンナが、我が子セリョージャに会いに行く哀切な場面にぶつかって潸然(さんぜん)と涙を流した私は、いつの日かこれをトルストイが書いた言葉で読もうと固く決心したのである。
 高校末期から少しずつロシヤ語を始めていた私は、昭和八年東大英文科へ入学の後、その英文科の講義の砂を噛(か)むような味気なさのせいもあって、英語はそっちのけでますますロシヤ語に、そしてトルストイにのめり込んで行った。大学入学当初、これ又翻訳で『戦争と平和』を読んだ私は、『アンナ・カレーニナ』にも劣らぬ感動を覚え、これ又いつの日か必ず原書で読むのだ、と深く心に期したけれど、何よりも最初に私のロシヤ語学習のためのテキストとなったのは『アンナ・カレーニナ』であった。東大正門前の郁文堂でビリューコフ版全集を手に入れた私は、辞書を片手に死物(しにもの)狂いでアンナに挑んだのである。当時東大には、東京外国語学校から八杉貞利先生が出講されており、私は一年の一学期から早速その講義に出席し、当時のソヴェート作家ウェレサーエフのものをテキストに学習し、下宿に帰れば直ぐに『アンナ・カレーニナ』を開くといった調子だった。ある日ピッカリングという英人講師の講義に出席している時、例によって教室に『アンナ・カレーニナ』を持ち込んで読んでいたら、突然英語で質問されて、慌てて英語の代わりにロシヤ語で何か口走った思い出も今は懐かしい。その頃五高時代の級友U君が、『アンナ・カレーニナ』って全く素晴らしい! ただただ感激の極みだ!と、私のお株を奪わんばかりの勢いで讃嘆するので、特にどのあたりが気に入ったか?と訊(たず)ねたら、ウロンスキイとアンナのあの濡れ場が言語に絶するほど素晴らしい、と言った。変な所にいやに感心するな、と思ったりしたことを、今もまざまざと思い出す。
 その後読み進むにつれて、私は勿論(もちろん)レーウィンやキティにも惹(ひ)かれて行き、或る意味でレーウィンがトルストイの分身であることも感ずるようになった。それで、あれやこれやで一時大学を休学して、田舎で野良仕事をしたりしていた頃、これ又五高時代の級友K君が私に東京から手紙を呉(く)れて、私のことをレーウィン君と書いてよこした時、何だか擽(くすぐ)ったくもあり嬉(うれ)しくもある感慨を覚えたことであった。K君は最初、
 《君、もう当節はトルストイなんか流行(はや)らないのだよ》などと、私のトルストイ熱に水を差していたのだが(ロックフェラー図書館の正面の、噴水のすぐそばで彼は私にそう言った)、そんな言葉など歯牙(しが)にもかけぬ私の熱中ぶりに押されて、自ら『アンナ・カレーニナ』の翻訳本を繙(ひもと)き、その結果上記の手紙の文句となったのである。
 その後、一応大学に復帰したが、ロシヤ語熱トルストイ熱はただただ鰻(うなぎ)のぼり、それに大学の講義にはますます幻滅を深めたこともあって、とうとう前記のごとくハルビンへの高飛びとなった。ハルビン行の許可を父に求めた時、父が《お前はハルビンでロシヤ語なんか勉強して、将来それで食って行く自信があるのか?》と訊ねるので、《私のロシヤ語はトルストイを読むためのもので、食うためのものじゃありません!》と烈しく突っぱねたことを思い出す。せっかく大学に入れた息子が、何のあてどもなく、ロシヤ語の勉強と称してハルビン三界へ出かけて行くのを見れば、親としては不安で堪(たま)らなかったであろうと今にして思う。
 その後、筆舌に尽くせぬさまざまの体験を経た揚句、二十数年後の私はここ湯山の里に帰農して、妻と四人の子供を抱える身となっていたが、折しも私の農業の先生であり、杖(つえ)とも柱とも頼む妻が発病し、途方にくれた揚句翻訳のアルバイトを思い立つことになった。こんどは純粋に金のため、食うための翻訳であり、友人のロシヤ文学翻訳者に仕事の斡旋(あっせん)を頼んだのだが、仕事が廻って来る前に、一体翻訳はどんな要領でやったらいいものかを教えて頂こうと、最初に取り上げたのがほかならぬ中村白葉訳『アンナ・カレーニナ』であった。結局私は、中村訳を私の持つビリューコフ版の原書と丹念に照合して読むことになったが、その時私が『アンナ・カレーニナ』を選んだというのも、結局は上記のような青春時代の思い出がそこにあったからである。
 中村白葉訳『アンナ・カレーニナ』を原書と照合して読んだことが機縁で、私は、食うための翻訳アルバイトはそっちのけに、お金にもならぬ誤訳指摘活動に精進することになったのだが、それでもなお暫(しばら)くは、まさかこの私がいつの日か、自ら『アンナ・カレーニナ』の訳筆を執ろうとは思いもかけなかったのである。しかしその後、東京新聞紙上で米川正夫氏に、《北御門の訳も或る意味で誤訳である。要するに人の揚足取りは誰にでも出来るから、自分で完全な仕事をして見せねば意味がない》といった趣旨のことを言われたのをきっかけに、私はトルストイの翻訳を固く決意した。今を去るほぼ二十年前のことであるが、『生ける屍(しかばね)』『イワンの馬鹿』『懺悔(ざんげ)』等々次から次へとノートに訳出して行った私が、いよいよ『アンナ・カレーニナ』に取りかかったのはずっと後のことであった。一九七四年十月二十六日付の熊本日日新聞に私は『目下「アンナの時代」を生きる』と題して次のように書いている。
 《『アンナ・カレーニナ』の翻訳に手を染めて一年八ヶ月余、私は現在いわば「アンナ・カレーニナ時代」を生きているわけ。ところでこのところ、ごたごたと雑事がふえ、訳筆も渋滞し勝ちである。目下八割弱を訳了したが、来年二月十六日の、満六十二歳の誕生日までに完了するという目標を完遂するには、もっとペースを上げねばなるまいと思う。
 「アンナ・カレーニナ時代」が過ぎたら、こんどはいよいよ「戦争と平和時代」である。アンナに二年かかるとして、体力の衰えも見込めば『戦争と平和』には四年かかると見ていい。まだまだ命が惜しい。
 稲刈りも済み、栗拾いも一段落してほっとしているところ。
天下はまさに灯火親しむべき秋、せいぜい体に注意しながらがんばって、残酷だけど早くアンナに鉄道自殺してもらわねばならない。私はトルストイ翻訳のために生まれた男だから。
孔子におくるること十年、六十にして私は自分の天命を知った。》
 これを見れば、当時出版のめどなど全然立っていなかったにも拘らず、既にトルストイの翻訳を自分にとっての《男子一生の仕事》と思い定めていたことが分かる。
 結局私は、『戦争と平和』のあとがきにも書いた通り、翌一九七五年二月一日に『アンナ・カレーニナ』を訳了した。そしてそれを機会に人吉球磨の一画に“『アンナ・カレーニナ』を読む会”がささやかに結成され、『戦争と平和』中巻の月報に言葉を寄せて頂いている立山芳隆氏などから筆舌につくせぬ御協力を頂いたことや、下巻の月報に玉稿を頂いた甲府の志熊孝雄先生からは、お祝いにと多額の金子を御恵送頂いたことも、恭(かたじ)けなく懐かしい思い出である。後に志熊先生からのお金で私は、くずれかけていた我が家の風呂場を改造し、それに“志熊風呂”と命名して今日に至っている。
 結局『アンナ・カレーニナ』は、最終的には出版期成会の手に引きつがれて、『戦争と平和』につづいて訳了後四年半にして日の目を見ることになった。その生涯をかけての読者であり、遂には翻訳者である私、その私にも十分鮮明に理解出来ない何者かを含むこの作品は、永遠の謎(なぞ)を湛(たた)えるモナ・リザの神秘な微笑のように、我々に真の芸術品が齎す十分満足な印象を与えてくれるであろう。その印象をなるべく忠実に日本の読者に伝えるための、自分なりに《心血をそそいだ》翻訳を世に問い得ることは、そしてそれによって、私の天命の一斑(いっぱん)を果たし得ることは、私にとって無上の喜びと言わねばならない。
 さて『アンナ・カレーニナ』と日本との関係を河出版『トルストイ研究』(法橋和彦編)に依って概観すると、一九〇二年から三年にかけて尾崎紅葉・瀬沼夏葉共訳の『アンナ・カレーニナ』が雑誌「文藝」に発表されたのを手始めに、一九〇五年長谷川天渓が『トルストイ伯の技倆(『アンナ・カレーニナ』を読みて)』を太陽五月号に書き、一九〇六年柴田流星による最初の翻訳が現われ、一九一〇年瀬沼夏葉が『「アンナ・カレーニナ」の一節』という一文を読売新聞日曜付録トルストイ号に寄せ、一九一一年相馬御風が『偉大なる人格、力ある描写――トルストイの「アンナ・カレーニナ」』という文章を新潮七月号に発表、つづいて一九一二年には御風訳『アンナ・カレーニナ』が早大出版社より発行され、同年佐藤春夫が『相馬氏の「アンナ・カレーニナ」』を時事新報に、昇曙夢が『「アンナ・カレーニナ」論』を早稲田文学に発表し、一九一四年には漱石の愛弟子でありその研究家である小宮豊隆が『アンナ・カレーニナ論』を三田文学に、近松秋江が『「アンナ・カレーニナ」に就て』を早稲田文学に発表し、同じくその年の九月には生田長江による、十一月には森田草平によるその翻訳が世に現われている。つづいて一九一六年九月、松井松翁訳『アンナ・カレニイナ』が新潮社から出版され、同じく九月萬朝報に『藝術座の「アンナ・カレーニナ」』という記事が出ているので、その頃それが日本で上演されたことが窺(うかが)われる。又同じくその年、松井松翁は、演芸倶楽部十月号に『アンナ問答』を、十一月号に『「アンナ・カレーニナ」に就て』を発表している。つづいて一九一七年、トルストイ研究二巻五号に久保正夫が『良心の問題――「アンナ・カレーニナ」その他に現はれたトルストイの人生観に就て』を書き、同じく十月、トルストイ研究二巻一〇号に田中純が『「アンナ・カレーニナ」所感』を書き、同じく十月、吹田順助訳『ドストエフスキイの「アンナ・カレーニナ論」』が帝国文学に発表された。ドストエフスキイの『アンナ・カレーニナ論』については後で触れようと思う。
 翌一九一八年一月、婦人の友に『アンナ・カレーニナ絵物語』が現われ、そして翌一九年から二〇年にかけて『トルストイ全集』全十三巻が春秋社から発行された時、遂にその十一巻として中村白葉訳『アンナ・カレーニナ』が登場するのである。当時小学生だった私は、勿論その存在を知る由もなかったが、その約十年後、この訳との劇的な邂逅(かいこう)をすることになっていた。同じくその年、原久一郎も十月三十日の読売新聞紙上に『「アンナ・カレーニナ」を訳して』を発表、二〇年から二一年にかけて新潮社からその翻訳を発行している。
 さて一九二八年はトルストイ生誕百年に当たっており、ソヴェート本国でほぼ九十巻からなるという豪華なトルストイ全集が発行されたようであるが、時を同じゅうして岩波書店が『トルストイ全集』全二十二巻(八杉貞利監修、米川正夫・中村白葉・原久一郎編集)を発行し、『アンナ・カレーニナ』はその八巻及び九巻として、中村白葉訳で世に出た。私が最初現実にめぐり合ったもの、或る日ふと友人を訪ねたら彼が悠々と読み耽(ふけ)っていたもの、その後の私の運命を決定的に左右したものが、ほかならぬその中村白葉訳『アンナ・カレーニナ』だったのである。その後一九三六年、中央公論社版、原久一郎個人訳全集二十二巻の中に『アンナ・カレーニナ』が七巻・八巻として現われたり、一九四八年同じく原久一郎訳『アンナ・カレーニナ』が講談社から出たりしているが 【エンドレス/ENDLESS】ブレーキパッド SSM リア用 SuperStreet M-Sports / SS-M ヴォクシー/VOXY ZWR80G などにお勧め 品番:EP509、一九七〇年に新潮社から発行された木村浩訳『アンナ・カレーニナ』については触れられていない。
 また現役の評論家について言えば、壮大な『「戦争と平和」論』を展開された本多秋五氏は『アンナ・カレーニナ』についても度々論じていられるし、小林秀雄氏が『アンナ・カレーニナ』をトルストイの最も成熟した自叙伝と評されたという話も私の脳裡(のうり)を離れない。また一九五〇年岩波発行の『文学入門』の中で、桑原武夫氏が「アンナ・カレーニナ読書会」を展開していられることにも注目したいし、このトルストイ研究の編者である法橋和彦氏自身、一九五八年『「アンナ・カレーニナ」覚え書』を現代批評二、三号に発表されていることも紹介したいと思う。
 以上翻訳だけを取って見ても、この約八十年間にいかに多くの『アンナ・カレーニナ』の翻訳が日本人によって試みられたかが分かるが、今私はふと、今は亡き神西清のことを思い起こす。百合子夫人がひた隠しに隠していたにも拘らず、彼は自分が癌(がん)におかされていることを知ったが、自分が知っていることを夫人に気付かれないままこの世を去り、後に残した日記によって彼が自分の病気を知っていたことを夫人が知った――というエピソードは、その頃新聞を賑(にぎ)わしたことを記憶しているが、その神西は一九五七年に『悲劇としての「アンナ・カレーニナ」』を講談社の雑誌に発表している。実はふとしたことで私は、彼の死後間もなく、鎌倉二階堂の百合子夫人を訪れ、故人の思い出話を聞く機会に恵まれたが、生前神西はしきりに、『アンナ・カレーニナ』だけは何とかして自分の手で翻訳したいものだと言っていたという。前にも述べた通り 16インチ サマータイヤ セット【適応車種:ランディ(C25系)】WEDS ライツレー ZM ブラックメタリックポリッシュ 6.5Jx16Bluearth AE01F 195/60R16、当時私は自分がその翻訳を直接手がけようとは思っていなかったので、チェーホフ翻訳に見る神西の流麗な訳筆を知るものとして 18インチ サマータイヤ セット【適応車種:アリオン(260系)】WEDS レオニス MX パールブラックミラーカット/チタントップ 7.0Jx18NANOエナジー 3プラス 215/40R18、本当に神西が訳してくれていたらどんなによかったろう、と思ったことであった。彼のその言葉は、彼がいかに従来の『アンナ・カレーニナ』の翻訳に不満であったかを語っていると思うし、その意味でも私は、彼の心情に胸の疼(うず)くほどの同情を感じたのである。
 このように、今世紀初頭以来『アンナ・カレーニナ』と日本民族との関係は切っても切れないものがあったが、最後に私は夏目漱石に触れることによって、私の『「アンナ・カレーニナ」日本編』を終わることにしよう。
 私は漱石に関してはその断簡零墨に至るまで、更にはその逸話、同時代人の思い出話などに至るまで悉(ことごと)く興味を感ずるのであるが、いつかどこかで彼が『アンナ・カレーニナ』を《神の自然》という言葉を使って評していたという話に接した記憶がある。しかし一面 スカイライン用 フイニツシヤーリヤホイールハウスリヤLHスカイライン 84951-24U00 日産純正部品、彼がトルストイの芸術論に食ってかかっていることを知っており(註・そのことに関しては、私はいつかどこかでもっと詳細に論じたいと思うけれども、とにかくトルストイはその芸術論を踏まえて、例えば『イワンの馬鹿』を生んでおり、現に漱石もそれに感動している一事をとって見ても、まずまず勝負は漱石の負けだと思う。漱石の気持もよく分かるけれど、彼はこの場合、ちょっぴりトルストイを誤解している)例えば一九一六年、大石泰蔵という人が漱石の『明暗』を『アンナ・カレーニナ』と比較して批判したらしい手紙に対して、七月十八日彼に次のような返事を書いている。
 《拝復、『明暗』のかき方に就ての御非難に対しては何も申上げる程の事はないやうです。私はあれで少しも変ではないと思つてゐる丈(だけ)です。但し主人公を取かへたのに就ては私にその必要があつたのです。それはもつと御読下されば解るだらうと思ひます。アンナカレニナは第何巻第何章といふ形式で分れてゐますが、内容から云へば私の書方と何の異なる所もありません。私は面倒だから一、二、三、四とのべつにしました。夫が男を病院に置いて女の方が主人公に変る所の継目はことさらにならないやうに注意した積です。要するにあなたは常識で変だといひ、私も常識で変でないといふのです。すると二人の常識がどこか違つてゐるのでせうか。呵々(かか)》

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 つづいて翌十九日にも、
 《……前略………………………………………
 あなたの予(期)通り女主人公にもつと大袈裟(おおげさ)な裏面や凄(すさ)ましい欠陥を拵(こしら)えて小説にする事は私も承知してゐました。然し私はわざとそれを回避したのです。何故といふと、さうすると所謂(いわゆる)小説になつてしまつて私には(陳腐で)面白くなかつたからです。私はあなたの例に引かれるトルストイのやうにうまくそれを仕遂げる事が出来なかつたかも知れませんが、私相応の力でそれを試みる丈のことなら(もしトルストイ流で構わないとさへ思へば)、遣れるだらう位に己惚(うぬぼ)れてゐます。……後略……》
 と書いているが、その中に私はやっぱり漱石のトルストイに対する一種の対抗意識を感ぜざるを得ない。トルストイだドストエフスキイだと言われただけで恐れ入る必要が別にあるものか! 俺は恐露病患者じゃないんだぞ!という力みがそこにはあるようである。しかし、いずれにせよ漱石がちょっぴりトルストイに食ってかかる姿は私には何とも興味津々で、ますます漱石がいとおしくなるのであるが、私がかねがね漱石の全てに興味を持っていることを知る二女の婿が、最近岩波書店が発行した『漱石全集――月報』を届けてくれた。その中で長女筆子の婿松岡譲が『「明暗」の頃』という一文をのせているが、それには、
 《此の近年はあんまり本も読みたくないから新刊も買はないよなどと言つてられたが、さうして又文壇の恐露病をしきりといましめて居られたが、寄贈される新刊や雑誌にはよく目を通して居られ、外国物でも昔学校で講義した頃には、人に聞かれて知らないといふのがつらかつたが、近頃ではそれも平気になつてねなどと言つてゐられ乍(なが)ら、始終何かしら読んで居られた様子であつた。トルストイの「アンナ・カレーニナ」を読まれたのも此頃らしく、これ程偉大な小説は未だかつてよんだ事はないと言つてられたさうだ……》
 とある。傍点は私が付したのだが、とにかく、あの誇り高き反恐露病主義者のドン漱石にしてこの言葉のある意味は重い。思うに当時の、あまりに低次元にトルストイだドストエフスキイだチェーホフだと騒ぎまわる風潮を漱石は苦々しく思ったのであろうが、やっぱり頭を下げるべきものにはちゃんと下げることを彼は心得ていたというべきであろう。
 ここらで日本を離れて、ロシヤ本国に目を転ずれば、ビリューコフのトルストイ伝(原久一郎訳)はこの作のデビュー当時の各方面の批評を紹介しているが、逸早(いちはや)く友人のフェットやストラーホフが好意ある批評を寄せたのと時を同じゅうして、例えば《社交場裡の伊達(だて)男と、金モールを愛好するペテルブルグの官吏との、平々凡々な、「色恋」に浪費される、古いフランスの小説を手本にしたメロドラマ式な囈言(うわごと)に過ぎない》などと言った批評が現われている。また当時トルストイとの仲がしっくりしなかったトゥルゲーニェフは、一八七五年三月十四日付、当時の有名なジャーナリストであり作家であるアレクセイ・セルゲーウィチ・スウォーリンに書き送った手紙の中で、
 《貴方の短篇の処女作集の世に出ることを、一日千秋の思ひで待つてゐます。レフ・トルストイの肖像(文学上の)は、きつと貴方の手で立派に出来上ると思ひます。才能は群を抜いてゐるのですが、然し『アンナ・カレーニナ』に於ける彼は、当地での噂によると(註・パリのことであろう)「誤れる道を歩いた」そして、モスクワの影響、スラヴ贔屓(ひいき)の貴族の影響、正教を奉ずる老嬢の影響、一種特有の蟄居(ちっきょ)の影響などを受けて、真の藝術的自由を缺いてゐるとの事です。》  と書いており 、更にこれと同じような筆法で、詩人ポロンスキイに与えた手紙の中に、
 《『アンナ・カレーニナ』は私の気に叶(かな)ひません。その癖真にすばらしい頁(ページ)も(競馬、草刈り、猟の如き)ところどころに散見されるのだが……。どうも凡(すべ)てが酸つぱくさく、モスクワ臭く、抹香臭く、オールドミス臭く、貴族臭い。》
 と書いている。
 要するに、古来いかなる傑作に対してもいろいろと酷評が行なわれて来たものであるが、『アンナ・カレーニナ』に対する当時の批評の特徴は、その第七篇まではこの作品を激賞していた批評家が、第八篇に至って忽ち攻撃に転じた場合が多いということである。実は八篇についてはトルストイと『露 国 報 知(ルースカヤ・ウェードモスチ)』の主筆カトゥコーフとの間にトラブルがあった。ビリューコフのトルストイ伝からそれを紹介すると、
 《此の長篇のエピローグ(つまり第八篇―筆者註)の上梓(じょうし)に際して、悲しい誤解、というよりも寧(むし)ろ幸な誤解が、レフ・トルストイと『露国報知』の主筆カトゥコーフとの間に生じ、そしてそれは彼等の絶交によって、漸(ようや)く一段落を告げるに至った。
 此の長篇の最後の章に於て、レフ・トルストイは、既に諸君が知らるる如く、レーウィンの内部に行われた内的革命を描出した以外に、更に進んで絶望の極、義勇兵となって、私財を投じて編成した騎兵の一隊を引率して、セルビヤへ出征するに至る不幸なウロンスキイの将来の運命をも語っている。当時の社会の見解では、それは英雄的な高尚な行為であった。しかもトルストイのこの作では、主要人物のレーウィンが、此の義勇軍の挙を非難の目で見、多少嘲笑(ちょうしょう)の色さえ見せてあしらっており、そしてそこに、この義勇軍の挙を、遊惰安逸に流れた所謂「上流社会」なるものの、猫の目のように絶えず変る、気まぐれな一時の流行の一つと観ずるレフ・トルストイの見解が、露骨に表現されていた。》
 然るに一方『露国報知』及び『モスクワ新報』の主筆カトゥコーフは、

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、その正反対で、能(あた)う限りのあらゆる手段によって此の挙を鼓吹し、トルコとの此の戦いにロシヤを巻き込もうと努力していた人だった。
 こうした関係でレフ・トルストイとカトゥコーフとの間には、ついに衝突が起こった。そしてとうとう、彼等は喧嘩別れをしてしまったのである。  一八七七年の五月二十二日に、レフ・トルストイはストラーホフにこう書き送った。
 《返事も差上げずにゐる中に、只今(ただいま)第二のお手紙に接しました。慚愧(ざんき)の至りです。私がグズグズして返事を致さなかつたのは、製作に追はれてゐた為でもありますが、ありやうは、第八編を御覧願はないうちは、何事も兄に申上げたくなかつたからです。此の第八編はとうの昔に活字に組まれ、二度まで校正を経たのです。そして近日中に、最後の校閲のために、私の手許へ送り届けられる事になつてゐます。しかし私には、それがどうしても直ぐ発表の運びに至らないだらうと案じられるのです。で、此のことについて、私は兄に相談し、兄の助言を仰ぎたいと思ひます。実は、カトゥコーフが私と見解を同じうしないといふわけなんです。尤も、私は特に彼の如き人々を難じてゐるんだから、それもまた已(や)むを得ない次第ですがね。兎(と)に角彼は、右様の次第で、遠慮がちに、慇懃(いんぎん)にではあるが、ここをボカしてくれとか、あそこを削除してくれとかいつて、うるさくてたまらない。で、私は彼に思ひ切つて、私の好きな形で発表するのでなければ、いつそ彼の雑誌に発表しない方がいいと言つてやりました。また実際さうするつもりなんです。が然し、単行本として発行し、これだけ別にして売る方が便利だとしても、当局の検閲を経なければならないという点が厄介です。どうでせう、これだけ別に当局の検閲を受けて発表したものでせうか、それとも『ヨーロッパ報知』とか『ニーワ』とか『行人』とかいつた風な、検閲なしの雑誌に発表したものでせうか? 私にはどちらだつて構はない、ただ出来るだけ早く、ボカすとか削除するとかいふ問題に触れる事なしに、発表したいものだと思ふのです。どうか私に智慧(ちえ)をかして、私に助力して下さい。多分カトゥコーフと折合ひがつく事と思ひますが、然し万一不調和に終つた場合どうしたらいいか、私は切にそれを知つておきたいと思ふのです。》
 右のように、大きな社会的問題を含んで誕生した第八篇は、その後も各方面にいろいろと波紋を投じた。例えば当時の評論家ウェー・ウェー・チューイコ(一八三九―一八九九年)は、《……この点に於てトルストイ伯は、まことに模し難い巨匠である。全ヨーロッパの文芸界に於ても、此の点に於て彼と比肩されるような、真に偉大な芸術家はあまり想像されないのである》などと言っていたが、その後第八篇が発表されると、遂に自説を捨てて、レーウィンの理想の低級であることに対してレフ・トルストイを攻撃した、とビリューコフは語っている。
 それに関聯(かんれん)して、どうしても最後に触れておきたいのが、ほかならぬミハイル・フョードロウィチ・ドストエフスキイのことであるが、彼も又、第八篇が現われるまでは絶大な賛辞をこの作に献(ささ)げており、例えば、
 《……悪の病根は人間の魂の中に、社会主義といふ藪(やぶ)医者が想像するより遥かに深く隠れているといふ事実、如何やうに社会を組織しても悪は避け難いといふ事実、人間の魂は依然として同じ姿であるといふ事実、そして最後に、人間の魂の法則は、まだあまりにも不分明であり、科学にとつてあまりにも不可知であり、あまりにも曖昧模糊(あいまいもこ)としており、あまりにも神秘である結果、まだ社会の病根を癒(いや)すべき医者も、それを決定的に裁くべき法官すらもこの世にはなく、またあり得なくて、あるのはただ「復讐は我にあり、我酬いなむ」と絶叫する「何者か」だけであるといふ事実――これらの事実が明白に、手に取るやうに解り易く描かれてゐる。そしてこの「何者か」にのみ、此の世のあらゆる秘密と、人間の究極の運命とが明白なのだ、云々》
 と書いており、流石(さすが)にそれは深い示唆に富む言葉だと思うけれども、そのドストエフスキイにして、ビリューコフによれば、《七十年代の終りに於ける一時的な政治上の事件に心を惹かれて、トルコとの戦争の已むを得ない事と、それが齎す恩恵とを力説し》従って『アンナ・カレーニナ』の第八篇に於けるレーウィンの、つまりはトルストイの見解を非難している。即ちドストエフスキイは、カトゥコーフ同様、当時の対トルコ戦を聖戦としていたのであろう。そのことについて思い合されるのは、実は戦時中、ビリューコフのトルストイ伝が、旧新潮社版に代わって、新たに中央公論社から(だったと思う)出版されたが、その序文で訳者の原久一郎が、《こんどの日本の戦争だけはトルストイもきっと正義の戦いだと認めるに違いない》といった意味のことを書いていたことである。一体この人は、今までどんな気持でトルストイを翻訳して来たのだろう?と、開いた口が塞(ふさ)がらぬ想いであったが、そもそもトルストイと聖戦思想とがどうして結び付いたりしよう? 例えドストエフスキイと聖戦思想は結び付いても、トルストイとそれとは金輪際結び付かない。「復讐は我に在り、我これを酬いん」と叫ぶ「何者か」にとっては、一切の《人と人との殺し合い》が悪であることを、トルストイは知っていたのである。私は『アンナ・カレーニナ』の第八篇こそ、或る意味で『懺悔』に始まるその後の彼の、あらゆる創作活動への偉大なる序章であったと思う。
 ヨーロッパに目を転ずれば、マシュウ・アーノルド、トーマス・マン、ロマン・ローランと、『アンナ・カレーニナ』に関する発言は無数であるが、今はもう触れないことにしよう。
 何はともあれ、『アンナ・カレーニナ』が世に現われて百有余年、その間どれほどの人々がどれほどの思いでそれを読んで来たことであろう! どれだけの涙がアンナのために流され、どれだけの人がレーウィンと共に信仰を求めて悩んだであろう! モナ・リザの微笑にも似た謎を湛えて我々においでおいでをするこの作品、晩年の漱石をして《これほど偉大な小説は未だかつて読んだ事はない》と嘆ぜしめたこの作品、もはや世界人類共通の所有に属するこの作品を、なるべく大勢の日本の読者に結び合せる役割を、私の拙(つたな)い翻訳が些(いささ)かでも果たし得るならば、

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、喜びこれに過ぐるものはないと思う。
(一九七九年八月)



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